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歳をとるということ [暮らし]

へい、楽しい休暇もあっという間に終り、

本日夕方から古巣の病院へお戻りとなります。

さて、今日のテーマは、

歳をとる事について。

なーんてね、大した話ではありまへんが、

この頃つくづく思う事とでも申しましょうか、

私にとっては嬉しい発見があったので、

今日はそれをみなさまにシエアしたいなと。

このはなしは、例の電子版グループ交換日誌で既に公開し、

そこでみんなとシエアして、またまたインスパイアされたばかりなので、

ありきたりの話ではありません。

いや、ありきたりとかいう問題ではなく、

今更の展開であっても私にとっては大発見なのです。

またもや前置きが長いなあ。

で、長いついでに発見した事その①。

私はなぜか、だらだらずらずらと書き続ける癖がある。

あらかじめ構想を練り推敲を重ね、なんてしてたら、

たぶんなにも書けないでしょう。

パソコンに向かい、こうして思いつくままにだらだら攻撃をしている内に、

言いたかった事が明確になり(なってない気もするけど)、

すぐ消える泡粒が形を伴って消えずに残ってくるんです。

で、それをそのままシエアすると、みんなの反応で、

またまた私の中がインスパイアされてさっきの形が姿を変えたり、

より明確になったり、隠されていた本音が透けてきたり。

で、皆さま、このだらだらブログにうんざりの方はここらでお引き取りを。

私にさえこの後の展開は全く見えておりませんのです。

とはいえコメント欄を閉じておいて言うセリフではありませんね、ごめんなさいです。

いずれ、退院した暁には、(いつもスパムチエックができる状態になればということですが)

おおいにおしゃべりしまくりましょうね。それまでお待ちください。

さて、ここからが本題。

60歳を過ぎたあたりから、それまでの若さ(と思っていただけの幻想かもですが)

が日に日に薄れていき、嫌でも歳を意識せざるを得ない状況に直面。

それまで気付かなかった、シミ、シワ。たるみが確実に顔や体にでている。

梅干しばあさんの兆候までしっかりと!(全国の梅干しばあさんごめんなさい)

それはまあ、目を覆うばかりです。

これが、あの若さと美貌を誇っていた?(誰の事?)

私の姿なのか?

そしてそれはまた死と直面しないわけにはいかない現実です。

あと残された時間がどれくらいあるのか?

死ぬってどんなんだろう?

既にお姑さまを見送り、実の母も見送り、叔父も見送り、

と死ぬ現実を目にしてはいても、

それはまだ自分のことではなかったのです。

見送りと言えるほど、死に行く人に寄り添ったわけでもないし、

ただ、目の前の現実に流されていたばかり。

そんな自分に、ほらそろそろあんたの番よと言う声が微かに聞こえてくる。

嫌だ、まだ考えたくないと、ますます自分の趣味の世界にのめり込む。

とまあ、病気前の最近の私はこんなありさまでした。

それが、一気に死ぬか生きるか、生き帰ったら今度はガンが待っていた!

という人生初の怒涛の展開にもみくちゃにされ、

嫌でも自分の現実に直面せざるを得ない状況に。

なんという荒療治でせう!

で、その間の経過は過去ブログをお読みいただくとして、

抗がん剤療法で髪の毛が抜け、

私は別に平気ですが、私を目にする人のショックを考えると、

まあ、頭を覆うのが順当でしょうね。抜け毛がそこらに散乱するのも避けたいし。

で、手ぬぐいや帽子をかぶったところ、

なんとそこに亡き母の顔を発見したのです。

髪が長い時には思いもしなかった顔。

若い時から

「なぜ私は母の良いところを受け継がずにあまり似て欲しくなかったところばかりこんなにばっちり似てるんだ」

と不平不満、コンプレックスばかり。

母はなんせ頭が良い、顔もきれい。中でも笑顔のチャーミングなこと、お茶目でウイットにとんでいる。お茶、お花、書道、洋裁と何をやらしても完ぺき。

それに引き換えこの私。顔は母のような、すっきりはっきりじゃなく、ぼんやりの印象の薄い顔。性格は、なにもかも途中で投げ出し中途半端。

母にもさんざん言われたけれど、なおりゃしないさ。こんどこそと新しい事に手を出しても、

またもやがっかり。

そんな私なのになんで、

背が低い、手足の短い事。特に手の指、足の指ときたらほんとにずんぐりむっくりなんだもの。

極め付きは「音痴」ああ、これが一番のコンプレックスだったなあ。

さすがの母も音楽だけはだめで、他は全て「優」なのに音楽だけ並み以下だったらしい。

なんでそんなところだけが似るのさ。私!

ところが母が病気になり、最後の死に顔に亡きばあちゃんの顔が浮かんでいた。

それが、物凄く崇高で私はお通夜の間その顔にみとれていた。

もはや顔の美醜を超え、なんだかわからないものに打たれていた。

昨年亡くなった叔父さんの死に顔にも、またもや亡きばあちゃんがいた。

叔父(母の弟)はエラが張りでっぷり肥っていて男だし母とは別の顔だった。

それが母と同じにばあちゃんが叔父さんの顔の中にいた。

そして今回私の中に、ばあちゃんというより亡き母の顔を見た。

若くはつらつと輝いていた母ではなく病んだ母の顔。

でも私はそれが嬉しかった!

やっと私と母が今一緒に生きているという実感に満たされた。

母と別れて22年経つけれど、

もうあまり夢も見なくなっているけれど、

母を恋しい気持ちは変わらずある。

母が私の顔の中にいるとの発見がどんだけ嬉しかったか!

思わず涙がこぼれた。

ありがとうって涙がこぼれた、

私が気付かなかっただけで、いつも一緒にいてくれていたんだね!

というのが歳をとることについての嬉しい発見のはなしです。

は?それで?

はい。ここまで。

これが私が若かったらたぶん発見できていなかったと思う。

歳をとったからこそのはっけんです。

なんてね、

これでおしまい。オチはありません。

さあ、次はいつブログ書けるかな?

明日からはじまる後半戦に全てをかけて、

今までより辛いぞと脅されてもビクともせず、(なのか?)

闘い抜いて帰って来ます。

んじゃなくて、

ガン友と仲良く共生できる道を見付けてここに帰ってきます。

できれば3週間後の再開を期し、

それまで、だらだらブログはお休み。

その間みなさまぜひこいつを消化しておいてくださいませね。

ではまた。

きょうはまた一段と長~くなっちまったぜ!


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