執着を捨てる [暮らし]
昨日に続き大それたタイトルですねー。
いやいや、この世への執着を捨てるなんていう究極の命題は、
とてもじゃないけど無理無理なので、
とりあえず、身近な物にあふれた生活を見直すというだけのことなんです。
いつか、いつかこいつが役に立つはず。
と、溜めこんだ物の多さに我ながらうんざり!
今回の外泊では、
1、中学時代のアルバムを探す。
2、溜めこんだ物の整理。
が目的です。
1はまだ見つからない
1を探していたら、
あるわあるわ、要らない物のオンパレード!
いや、当時は必需品というか、
あるといいわねー、あれもこれもいずれそのうち使うんだもの。
なんて思ったのが運の尽き。
いつかそのうちが果たしてくるのか?
今回の病気の恩恵のうちのひとつは、
いつかそのうちはまず来ないと悟ったことです。
とはいえ、
もともと執着の強い私のこと、(言いかえればド・ケ・チ)
おいそれと捨てられるのか?
ところが出来るもんなのですねー、これが。
自分でも驚くほどの捨てっぷり。
要らないものが分かるんです。
何をこんなに溜めこんでいたのだろう?と笑える。
だからと言って、情け容赦なく捨てるんじゃありませんよ。
今までありがとう!あなたたちのおかげで私がどんなに幸せだったことか。
あんなことや、こんなこと、
出来るようになったら、すぐに使うからそれまで待っていてね、
なーんてお待たせし過ぎで、
とうとう出番がないままに捨ててしまうなんて、
ほんとうにごめんなさい、許してね。
と、ひとつひとつに謝って捨ててしまいました。
結局は捨てたんだろうが!
はい、ごめんなさい。
一番の溜めこみ物は何と言っても衣類です。
シミの出たTシャツ、穴のあいたパンツ(ズボンですよ)に始まって、
12、3年前の手織り、我流仕立ての着る物数点。
洋裁のよの字も知らない時で、直線裁ちで適当に作ったやつ。
最初の2,3年は着て歩いたけれど、服ばかり悪目立ち過ぎで、
今じゃ恥ずかしくてとても着られたものではありませぬ。
それでもと過去にわんこの敷物にしたことがありますが、
あいつらあっというまにカミカミしてボロキレに早変わり。
こいつらはーっ。
それでも服としては着ないけれど、解いて布にすれば何かに使えると未練たらたら。
そんなお方たちをいつするんだ?とバッサリ。
手織りに限らず、ここ数年袖を通していない物、
例えば水着、もう20年くらい使ってないのに、後生大事にタンスの奥に。
しかも、3枚もっ!
息子のお古のシャツ(農作業用にとっていた)やジャージ。
と、衣類は抵抗なく捨てられたのですが、
捨てる決心がなかなかつかないのは道具類。
骨董市で見付けて手を入れて大事に使っていたけれど、
繭農家さんが辞められてから出番の無くなった座繰り器。
もう木の歯車部分がすり減って斜めにかしぐやつをだましだまし使ってた。
繭が手に入らなくなれば捨てても困らない代物ではありますが。
糸車などの古い道具をよみがえらせて使えるようにされている方が、
おひとりいらっしゃるのでこれはその方に見てもらってから捨てようか?
絹糸用のカセあげ台、これはまだりっぱに動くけれど、
場所ふさげなのよねー。
新しい綿繰り器を買ってから出番が亡無くなった昭和25年と刻印のある道具も。
これは一番大事なローラー部分がすり減ってしまい、
全く種が取れません状態のお道具だけど、懐古趣味で置いていたやつ。
まだあるぞ!
出店時に人目を引こうとデイスプレイ用に購入した小さな糸車。
どうも日曜大工で作られたものらしい、糸を紡ぐということを理解していない人が、
形だけ似せて作った感見えみえの全く糸が紡げない糸車。
チャルカといって糸車より遅いけど、コマより早い紡ぎ器。
あとは専門書籍です。
いつのまにか大量に溜まってしまった。
欲しい人がいれば差し上げるけど、私が要らないものを人に押しつけるのはねー。
と思案中。
で、結局捨てたのは今日のところは衣類だけか。
明日はまた病院に戻らねばなので、
次の外泊までには決着を。