三匹目のどじょうは? [縫い物]
今日は雨の予報でしたが、
時折りお陽さまが覗いたかと思う間もなく雨が降ってくるし、
と、またお陽さまが・・・という落ち着かない一日でした。
丁度出掛けようとしていた12時前は最悪で、
雨はここぞとざあざあ本降りになるわ、雷ゴロピカでうわーどうしよう?
でも約束しているからと雨の中を出掛けました。
初めにお友達の所へ寄った後で手織り教室へ。
その頃には雨も止み、やれうれしや。
手術前に行ったきりだったので4カ月振りにお会いした方も。
お茶を頂き積るお話の後、次は洋裁の先生のお家に。
ずっと先生のもとに預けっぱなしだった上着を、
先生が縫って下さっておりまして受け取りに参りましたんです。
これは着物地でございましたものを服に仕立てたお品でして、
同じ布でジャンパースカートがあるんでございますが、
こちらは裁断しただけでまだ手付かずで自宅にございます。(らしい)
いえね、この間の私めの記憶がすっぽりと抜け落ちておりまして、
先生がそうおっしゃるからには我が家に有るはず。
で、この上着はですね、少しは自分で縫っていたのですが、
途中で病に倒れてしまったもので、先生の家にそのまま置いていたのです。
そう言えば私、以前にも同じような前科があるんでございますよ。
その時は初めて自分の畑で採れた綿を紡ぎ、糸にして、自分ちの藍で染めて織り上げた、
私にとっては逸品中の逸品の布で縫ったジャケットなんですが。
そもそも綿との出会いは、ある雑誌に載っていた田畑健氏の、
「綿を自分で育てて野良着を作ろう」のコピーに心惹かれ、
1999年6月に初めてお邪魔し畑に綿の種を蒔く所から教わったのが始まりです。
その後、収穫して糸に紡ぎ染め織るまでの全工程を自分のものにすべく
はるばる千葉は房総半島の突端の鴨川まで通い詰めました。
マフラーくらいならいざ知らず、服にできるほどの強度を持つ糸を紡ぐのに3年かかりました。
そんな苦労の末にできた布ですもの、自分で縫うぞと張り切って、
裁断しやっと背縫いまでした所でやむを得ぬ事情ができ、
先生が任せなさいと全て縫い上げて下さったという・・・・・
ボタンも先生のご趣味の陶芸で焼かれたボタンを付けて下さいましたです。
まさか、三度目はないでしょうよ。(たぶんね、いえいえ味を占めたりなんかするはずは・・・)
で、あのジャンンパースカートはどうなるのでございましょうか?ね、先生。