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歳をとるということ [暮らし]

へい、楽しい休暇もあっという間に終り、

本日夕方から古巣の病院へお戻りとなります。

さて、今日のテーマは、

歳をとる事について。

なーんてね、大した話ではありまへんが、

この頃つくづく思う事とでも申しましょうか、

私にとっては嬉しい発見があったので、

今日はそれをみなさまにシエアしたいなと。

このはなしは、例の電子版グループ交換日誌で既に公開し、

そこでみんなとシエアして、またまたインスパイアされたばかりなので、

ありきたりの話ではありません。

いや、ありきたりとかいう問題ではなく、

今更の展開であっても私にとっては大発見なのです。

またもや前置きが長いなあ。

で、長いついでに発見した事その①。

私はなぜか、だらだらずらずらと書き続ける癖がある。

あらかじめ構想を練り推敲を重ね、なんてしてたら、

たぶんなにも書けないでしょう。

パソコンに向かい、こうして思いつくままにだらだら攻撃をしている内に、

言いたかった事が明確になり(なってない気もするけど)、

すぐ消える泡粒が形を伴って消えずに残ってくるんです。

で、それをそのままシエアすると、みんなの反応で、

またまた私の中がインスパイアされてさっきの形が姿を変えたり、

より明確になったり、隠されていた本音が透けてきたり。

で、皆さま、このだらだらブログにうんざりの方はここらでお引き取りを。

私にさえこの後の展開は全く見えておりませんのです。

とはいえコメント欄を閉じておいて言うセリフではありませんね、ごめんなさいです。

いずれ、退院した暁には、(いつもスパムチエックができる状態になればということですが)

おおいにおしゃべりしまくりましょうね。それまでお待ちください。

さて、ここからが本題。

60歳を過ぎたあたりから、それまでの若さ(と思っていただけの幻想かもですが)

が日に日に薄れていき、嫌でも歳を意識せざるを得ない状況に直面。

それまで気付かなかった、シミ、シワ。たるみが確実に顔や体にでている。

梅干しばあさんの兆候までしっかりと!(全国の梅干しばあさんごめんなさい)

それはまあ、目を覆うばかりです。

これが、あの若さと美貌を誇っていた?(誰の事?)

私の姿なのか?

そしてそれはまた死と直面しないわけにはいかない現実です。

あと残された時間がどれくらいあるのか?

死ぬってどんなんだろう?

既にお姑さまを見送り、実の母も見送り、叔父も見送り、

と死ぬ現実を目にしてはいても、

それはまだ自分のことではなかったのです。

見送りと言えるほど、死に行く人に寄り添ったわけでもないし、

ただ、目の前の現実に流されていたばかり。

そんな自分に、ほらそろそろあんたの番よと言う声が微かに聞こえてくる。

嫌だ、まだ考えたくないと、ますます自分の趣味の世界にのめり込む。

とまあ、病気前の最近の私はこんなありさまでした。

それが、一気に死ぬか生きるか、生き帰ったら今度はガンが待っていた!

という人生初の怒涛の展開にもみくちゃにされ、

嫌でも自分の現実に直面せざるを得ない状況に。

なんという荒療治でせう!

で、その間の経過は過去ブログをお読みいただくとして、

抗がん剤療法で髪の毛が抜け、

私は別に平気ですが、私を目にする人のショックを考えると、

まあ、頭を覆うのが順当でしょうね。抜け毛がそこらに散乱するのも避けたいし。

で、手ぬぐいや帽子をかぶったところ、

なんとそこに亡き母の顔を発見したのです。

髪が長い時には思いもしなかった顔。

若い時から

「なぜ私は母の良いところを受け継がずにあまり似て欲しくなかったところばかりこんなにばっちり似てるんだ」

と不平不満、コンプレックスばかり。

母はなんせ頭が良い、顔もきれい。中でも笑顔のチャーミングなこと、お茶目でウイットにとんでいる。お茶、お花、書道、洋裁と何をやらしても完ぺき。

それに引き換えこの私。顔は母のような、すっきりはっきりじゃなく、ぼんやりの印象の薄い顔。性格は、なにもかも途中で投げ出し中途半端。

母にもさんざん言われたけれど、なおりゃしないさ。こんどこそと新しい事に手を出しても、

またもやがっかり。

そんな私なのになんで、

背が低い、手足の短い事。特に手の指、足の指ときたらほんとにずんぐりむっくりなんだもの。

極め付きは「音痴」ああ、これが一番のコンプレックスだったなあ。

さすがの母も音楽だけはだめで、他は全て「優」なのに音楽だけ並み以下だったらしい。

なんでそんなところだけが似るのさ。私!

ところが母が病気になり、最後の死に顔に亡きばあちゃんの顔が浮かんでいた。

それが、物凄く崇高で私はお通夜の間その顔にみとれていた。

もはや顔の美醜を超え、なんだかわからないものに打たれていた。

昨年亡くなった叔父さんの死に顔にも、またもや亡きばあちゃんがいた。

叔父(母の弟)はエラが張りでっぷり肥っていて男だし母とは別の顔だった。

それが母と同じにばあちゃんが叔父さんの顔の中にいた。

そして今回私の中に、ばあちゃんというより亡き母の顔を見た。

若くはつらつと輝いていた母ではなく病んだ母の顔。

でも私はそれが嬉しかった!

やっと私と母が今一緒に生きているという実感に満たされた。

母と別れて22年経つけれど、

もうあまり夢も見なくなっているけれど、

母を恋しい気持ちは変わらずある。

母が私の顔の中にいるとの発見がどんだけ嬉しかったか!

思わず涙がこぼれた。

ありがとうって涙がこぼれた、

私が気付かなかっただけで、いつも一緒にいてくれていたんだね!

というのが歳をとることについての嬉しい発見のはなしです。

は?それで?

はい。ここまで。

これが私が若かったらたぶん発見できていなかったと思う。

歳をとったからこそのはっけんです。

なんてね、

これでおしまい。オチはありません。

さあ、次はいつブログ書けるかな?

明日からはじまる後半戦に全てをかけて、

今までより辛いぞと脅されてもビクともせず、(なのか?)

闘い抜いて帰って来ます。

んじゃなくて、

ガン友と仲良く共生できる道を見付けてここに帰ってきます。

できれば3週間後の再開を期し、

それまで、だらだらブログはお休み。

その間みなさまぜひこいつを消化しておいてくださいませね。

ではまた。

きょうはまた一段と長~くなっちまったぜ!


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秘められた想い [暮らし]

さて、昨日の続きです。

8月13日夕、病院へ戻り、翌日は14日、お盆の中日(お彼岸じゃあるまいしこんな言葉あるのか?)

なので、というか、昨日お仏壇に手を合わせた名残が残っていて、

今日は一日亡くなった人のことを思い出して過ごそうと決めました。

日頃はめったにお仏壇開けない嫁が、自分勝手にもいきなりこんな頼みごとして

と、さぞや呆れていらっしゃるであろう夫の両親だけでなく、

私の両親、母方のばあちゃん、父方のじいちゃんばあちゃん、去年亡くなった

叔父ちゃんと私が顔を知っている人を総動員して。

なお母方のじいちゃんは私が生まれる前にお亡くなりになっているので、

今日のところは割愛させていただく。

なんぞとまた勝手に決めこんで、

しかし一日それだけに集中できるはずもなく、

あたしゃ目下の急務、やるこたやらなきゃなんだからね、

と言い訳しつつ、思い出したときだけそれに集中といういいかげんなやりかたでしたが、

亡き人を偲ぶ日にはなったかと(とびとびでもね)。

そして、ひとつ分かった事。

なにもあんなお願いしなくても、

私が大切に思っている人たちが、たとえこの世には生きていなくても、

いえそれだからこそ、私の想い、願いなんかたちどころに伝わって、

無理やり家族から引き離される筈がないじゃないか。

私はもう充分愛しました。いつでも私をあなたがたのところへ

迎えてくださってかまいませんと言える日まで待っていて下さるに違いない。

いや私が行くところが違っていたら(地獄?まさか)困るんだけどね。

ならば、これからの日々、私はせいいっぱい愛し、

だけど、この世への未練、執着を少しづつ手放していけばいいんだ。

とわかったのです。

いえ、いまはまだダメダメだよ!

未練、執着の塊なんだからね。(誰に言ってる?)

そして、もうひとつの号泣のわけは?

うーむ、これは根が深い。

研究の余地が大いにある分野だな。

あの時突き上げてきた、

なんとも言えない悲しみの正体って?

ふと脈絡もなく思い出されたこと。

長女が2歳で下の娘が生まれた時、

私が赤ちゃんと病院から帰る間、

長女が赤ちゃんの時使っていたベビーベッドを夫が出してくれて、

赤ちゃんの帰りを待っている間、

長女はそれまで両親に挟まれて寝ていたのに、

これは赤ちゃんのだよと言い聞かせていたのだけれど

それまでならと、このベッドで寝ていたのです。

今思えば余計な事をしたもんだ、当日出せばよかったのに。

ところがいよいよ赤ちゃんのご到着。

さあ、お姉ちゃん、このベッド赤ちゃんに返そうね。

といったとたん、

うわーんっ!!![台風]

と大号泣!

なんとも悲痛な、こちらの胸が焼けただれるような泣き声をあげたのです。

今思い出しても涙が出てくるほどに、

この世の理不尽さ、哀しみ、我が身に引き受けるには耐えがたい重さに

打ちひしがれたような、

それは何とも言えない悲痛な泣き声でした。

彼女にしてみれば、

それまで自分ひとりに当然の顔で与えられていた愛を、

こんな小さな生き物に横取りされるという思いだったのか。

それからの彼女の自己防衛と思える数々。

ただ、哀れで、だけどきみはこれを乗り越えなくちゃいけないんだよ。

とみているだけで、たぶん適切に対処できていなかった未熟な母親の日々が

思い出されてきました。

いえ、今だって充分(すぎるほど)未熟な母親だし、未熟な人間です。

何十年たっても少しも成長していない人です。

その事件?と今回の私の大泣きは、

どこかで繋がっているような気が・・・・

これはこれから折に触れじっくり掘り下げていくテーマだな。

さて、

今日、8月18日はまず息子がご出勤、そのあと夫がボランテイアへ。

彼は土、日、祝日はボラ日で、自分でお弁当作りいそいそお出かけ日。

お盆だって12日から15日まで4日連ちゃんでした。(恨みがましく聞こえてないよね?)

おかげで私は日中ほぼひとりきりの時間を堪能できましたさ。

娘は正午まで仕事の下準備して、そのあとご出勤。

なので私はまたまた一人になる予定。

ならば、今日は二階の私の部屋の本棚のお片づけだな。

この前は娘の本棚に浸食していた私の本をきれいさっぱり片付けて、

それまで「断捨離」がどうしてもできなかったのに、不思議と未練も出なくて。

で、本日は大御所さまに手を付けましょう。

ほーら、私はこうして少しずつ未練を手放して行ってるからね、

口先だけじゃないからね。

おっと、だけどまだまだダメよ。

私を連れて行くのはもっとずっと先にしてね。

さて、今日はここまで。

相変わらず、だらだら続くこのブログ、

いつもつきあってくださるあなた、

ほんとうにありがとう!


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号泣! [暮らし]

は~いみなさま、

またまた二泊三日で愛しの我が家に帰って来ました。

ほんとなら昨日あたりで後半戦突入の筈が、

なんと私の回復力が素晴らしくて(たぶん)

来週月曜日、8月20日から後半の抗がん剤治療が決まりました。

昨日の夕方、医師やナースのチームでカンファレンスされた結果だそうで、

ではそれまで私は全く暇になるわけです。

で、今朝になって担当医師さまから、今日帰って良いですよ。と。

うわーっいっ!!!やったーやったーやったー!!!

思わず先生さまにハグしちゃいました。(ごめんなさい)

いや浮かれている場合ではないのです。

後半戦は、かなり強い治療となり、

前回白血球の底値が500に留まったため、

ぎりぎり4人の大部屋にいられたけれど、

今回はまず500以下になる公算大で、

その時は即個室ご入室なのです。

そのため今回は激励休暇とでも申しましょうか、

先生の温情で、しっかり家族のもとで休養して次の辛い(たぶん)治療を耐えて欲しい、

ということらしい。

たぶん、とからしいとかみんな私の推測ですが。

てなわけで、午後3時まえには夫のお迎えで懐かしい(いや先週も帰ったんですけど)

我が家に到着。

今日から三日間は携帯はオフ。

しかし、パソコンは家族がいない時ならOK、と勝手に決めて、

まずはお茶を飲みながら、夫と積もる話をつらつらと。

いやーなかなかこんな時間は持てまへんですもん。

で、ゆったり時間にうながされ、

先週夫がいない留守に大泣きした話を告白したのです。

このブログでは明るいガン患者なんてノリで書き散らしているけど大丈夫かこの人。

なんて違和感持ったり、不思議に思った方もいらっしゃるかもしれませんね。

これで私が2、30いや40、50代でもこうはいかなかったと思います。

たぶん絶望してのたうちまわったでしょう。

だけど、私はもう65歳(いや、9月まで64歳だけど)

こんなことがなくても日常的に死は常に意識しています。

今回、先に生きるか死ぬかが来て、九死に一生を得る体験をすれば、

よくぞ助けてくださった、あとはガンと共に生きられるだけ生き抜くのが恩返し。

となったことはお分かりいただけるでしょうね。

で、私も心底今の病院生活をはっぴーと感じ、

げんに食欲モリモリ毎食完食し、できればお代わり欲しいなんて思い、

朝の6時と、歩行練習した後のご褒美ミカンがひたすら嬉しい。(お腹が空いて空いて)

などとやっておったわけですが。

前回の外泊二日目、お盆だしと、お仏壇の戸を開けたとたん、

夫の両親の遺影と目と目が合いました。

その瞬間、だーっと涙があふれて止まらなくなり、

思わず手を合わせ、

「お舅さん、お姑さんどうかわたしを助けて下さい!死ぬのは怖くないけど、

家族と離れるのが辛いのです。

今まで私は至らぬ嫁でしたが、今病気のおかげで家族の大切さ、

今まで家族にいかに助けられ支えられてきたことかをやっとわかったのです。

どうか一日でも長く生きさせてください、この家族の元から引き離さないで下さい」

と、勝手なお願いを誰もいないのを良い事に延々、涙が枯れるまでお願いしたのです。

で話はそこで終わらない。

夫が帰ってくる頃には気分も落ち着き、常と変わらぬ態度で迎えた(筈)。

ところが翌日、つまりまた病院へ戻る日、

私がなんと1時間も早く起きてしまい、(5時)

いつもの朝のパターンで朝食を作り食べる。

9時だわ、夫にじゃー行ってらっしゃい!

夫、「はあー?お前何を言ってるんだ、まだ8時だぞ。だいたいはしゃぎ過ぎなんだよ云々・・・」

私は思わず涙がぽろり、出かかるのを必死で押しとどめ、

あららーんアホやったなー、病院ボケだね。と

何でもないようににっこり。(したかどうかは記憶にないけど)

私の味方の娘も生憎体調を崩してその日はふとんから出られない状態。

一人で耐え(けなげ)自分の本棚の整頓を。

この際すっぱり捨ててカタを付けようと以前から思っていた事を黙々と。

ところがふせっている娘の枕もとをずかずか歩き、

堪りかねた娘にとうとう、

お母さん、声大きいし、やかましいよ。

と言われた瞬間キレた。

うわーんっ!

自分でも何でこんなに悲しいのか分からないのに、

涙が後から後から出て来て、

しかも声を振り絞って泣き叫んでしまった。

どうしても止まらない。

一生分の悲しみを今吐き出しているかのように声を振り絞る。

さあ、娘はびっくりして起き出し、

私の背中をさすりながら、おかあさんごめんね、私が悪かったと耳元で囁く。

今度はそれが嬉しくて甘えた気持ちでなおも泣く。

そうこうしている内に、娘は本格的に気分が悪くなり、

お母さんごめん、私限界だわ。とふとんに倒れ込んでしまった。

さあ、こうなると私も母のスイッチが入る。(だって涙も鼻水もヨダレも枯れ果てたもの)

慌てて、夕飯の支度をし、掃除もささっと、シャワーを浴び病院へ戻る支度をして

5時に送ってくれる約束の息子が遊びから帰るとすぐ病院へ。

なんて急いだのは、(別に5時が6時になっても病院はOKなのに)

憎い夫にいじわるしたかったから(ってこれがいじわるってテキに通じるのか?)

自分だけに通じるヘンな意地をはり5時に帰る夫と顔を合わせることなく

無事病院へ到着。

ざまーみさらせっ!(ってだから通じてないんだってば)

と一人相撲を取りました。

で、このてんまつは明日ね。

 


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希望 [暮らし]

さて、今日の夕方はまた病院へ帰ります。

しばしの我が家での暮らしをたんまりと楽しんだ後は、

今の私の現実、闘いの場へ!

さて、今日のタイトルは「希望」です。 

その前に、昨日予告した病院での楽しみをちょっこし。

本題は「希望」ですから、ここを飛ばして読みたい方は、

スクロールしてずずーっと下の方を探して下さいね。

心臓血管外科ではずっと個室だったのですが、

血液腫瘍科では、個室は骨髄移植の患者さん等のように、

無菌室治療の適用患者さんだけで、私のような、りっぱな?ガン患者であっても、

基本大部屋(4人)なのです。

その代り、出来うる限りの感染対策はとります。

部屋を出る時はトイレにもマスクしてだし、入室するには手洗い、うがい後です。

生ものは食べられません。サシミや生野菜厳禁。

皮をむいて食べるフルーツは良いけれど、食べる前に必ず皮を洗ってから。
(ミカンだって皮を洗ってから剥いてます)

私の場合はそれに心臓食なので、1日6グラム以下の塩分と脂肪はだめ。

つまり、唐揚げ、天ぷら厳禁。焼きソバなんぞの油炒めもだめ。

煮る、焼く、蒸すのみ。

という制限の中でも、これがあるんですねー!楽しみってもんは!

初め、お浸しやお豆腐に付いてくる「減塩醤油」を使ってあまりの不味さに(ごめん)

何もかけずに食したら、このほうが何倍も美味しいじゃん!

毎食完全制覇。食欲モリモリ、野菜ってこんなにおいしかったっけ。

いや食べることだけじゃなく最大の楽しみは同室者との語らいです!

たまたま4人中3人が同病と分かり(みんなあけすけに自分から語る)

なんと参考になることか!

だけじゃなく、私と同じ歳に発症して治療後14年も無症状。

で、今回再発して治療後先週めでたく退院された方の人生の豊かさ、深さ!

たまたま巡り合った方に同室者というご縁を頂けて、

その方の越し方の一端を垣間見せて頂けた幸せ!

さて、そろそろ本題にいきましょうか。

思ってもみなかった病気になったおかげで、

病気ってだけで不幸なんかじゃないいんだと実感。

今までおろそかにしてきた、自分の体や心を、

たっぷり与えられた時間の中でこころゆくまでじっくりつきあい、毎瞬、毎瞬に意識を集中する。

はい、それだけでも十分面白くわくわくしていますが、

なんとっ、

それだけじゃ病気とは闘えないって事がわかりました。

いや、病気と闘うんじゃないな、

病気と仲良く付き合って生涯の友となる。

うん、これだ!

で、そのための必須アイテムが「希望」なのです。

話は先々週。

「中学卒業後50周年記念クラス会」の案内が舞い込みました!

へ?50年て?

一瞬そんなに経っていたなんてと???だったのですが、

65歳だよあんた。

そうだよねー。としみじみ。

この前のクラス会は30年前だったのか。

あの時会えなかった人が今回は事務局してくれてるんだ。

会いたいなーみんなに!

だけど、おいらは病気治療中、退院なんていつのことやら?の身の上なのさ。[たらーっ(汗)]

泣く泣く「不参加」に●をして、近況をメンメンと書き投函。

でも、一日頭の中はクラス会がぐるぐる。

夕方担当医(主治医は部長先生だけど、若くて切れ者、心優しい担当医さま)に、

「11月に広島でクラス会があるんですが、出れませんかねー?」と伺うと、

「うーん、11月のことは何とも言えませんけれど、10月になればある程度目処がつくので、

その頃またご相談ください」

はいっ!

いきなり、ちゃららーんっ!目の前が開けちゃいました。[グッド(上向き矢印)][るんるん]

いや、行けるっておっしゃってないですよ。分かっていますとも。

だけど、その瞬間「希望」がド・アップに![黒ハート]

やったねっ!

そして、事務局してくれてるMちゃんがメールくれた!

さあ、それからの展開の目まぐるしい事ったら。

初めは二人の間で飛び交ってたメールが、

今回の会長してくれてるHくんもメールくれて、

女子二人にチョイ異質でちょいとずれてたり(ごめん)することもある男子が加わり、

だけどあいぱっど使いこなしてるHくんにメカ音痴の私は教わる事多く、

なんてことだけじゃなく、この3にんのやりとりで、

どんなに私は生きるパワーがアップしたことか、エネルギーが後から後から湧いてくることか!

しかも、裏の会長(人を乗せて働かせ上手)のYちゃんも参加してくれて、

4人のメール交換は電子版交換日記へと変貌を遂げたのであります![揺れるハート]

こりゃどうしたってああた11月9日はクラス会に出席してるよあたしゃ![パンチ]

確信したんですわ。

というわけで、

いまやあたくし、クラス会に当然出席しているビジョンの元、

これから始まる後半戦の治療に、

待ってなよ、私の体立て直してあげるからね、

と、なぜか、治療者は私なんだよの勢いで向かおうとしているのであります。

ではではここらで。

またもや長~い話におつきあいくださったみなさまありがとう!

またご褒美休暇がでたら、お会いしましょうね!


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祈って信じて待つ [暮らし]

さて、昨日に続いて闘病生活を。

じゃない、我が家での昨日の様子を。

昨日はお昼まで娘と息子とまったり過ごした後、

息子が遊びに出かけ、その後娘が仕事に。

昼ごはんは各自用意です。

ちなみに私のお昼はこんなやつ。

前日の残りものの豚汁に絹ごし豆腐一丁にごはん一膳。

しかし、食べ終わった後、まだお腹にずいぶんと余裕があるわね。

で、台所に立ち、あるものでお料理。

前回の帰宅時には何もさせてもらえなかったので、

お料理できるって嬉しいなー。

庭からトマトとオクラをもいできて刻んで青紫蘇入れてささっと炒め、

ごはんを放りこんで卵をかけまわしてチャーハン風に。

これでやっと満腹。

午後は一人になったので、パソコンでブログ更新し、

友達と電話でおしゃべりした後はお昼寝タイム。

3時過ぎに目覚め、ボランテイアに行っているダンナにメール。

今夜の夕食作りの許可を得てから、ぼちぼち取りかかる。

メインメニューは冷やしそうめんなので、ゆでるの

はダンナにまかせることにしてつゆと具を作る。

イリコとこんぶでおだしを取っている横で、錦糸卵と豚のしょうがからめを。

病院で毎日歩行練習してきたはずが、

我が家のこのバリアーだらけの家ではさっぱり役立たずであったと判明。

畳に座った状態から立ちあがるまでの時間の長さと辛さ。

台所に10分も立てば足はぷるぷる、がくがく。ちょい一休み。

勝手口から出ようとすれば、立ちふさがる段差の壁!

いやー、面白い!わたしの体がここまで弱っていたなんて!

で、まあ、できるところまでしかできないやね。

ところが、この過程のひとつひとつが、なんて味わい深い事。

お料理をこんなに全身使ってしたことなかったもの。

当たり前に手が動き、次にやる動作なんて考えずにできて、

これをやっている間にこれして、はいはい一丁上がり。

それが、ひとつひとつ確認しながら、玉ねぎひとつ、じゃがいもひとつ切るにも確かめながら。

なんだか夢中!結局夏野菜だけのトマト味煮込み完成。

そうめんの具の追加はダンナにおまかせで、

ダンナが帰ってくるまであたしゃクーラーの効いたお部屋でお休みさ。

で、タイトルの「祈って信じて待つ」とこの話の関係は?

はいそうでした。前置き(とはいえんか)が長すぎました。

今回私が生きて戻れたことはこの、

「祈って、信じて待つ」力のおかげということが確信されたのです。

もちろん直接手を尽くして下さった医療チームスタッフの総力を結集してのお力が、

大前提ではあります。

だけど、それだけで助かったとは思えないのです。

手術の間ずっと隣の控室で、必ず帰ってくると信じて祈り、長い時間をひたすら耐えて、

待ち続けてくれた家族!そして、病院にはこれなくても、

祈り続け、信じて待ち続けてくれた、親戚、友達、それだけではなく、

祈って下さいの言葉に応えて、見も知らぬ私のために祈って下さった方々の存在!

そんな、たくさんの方々のおかげで私は今ここに存在できているのです!

それを知った時の感動!

私がただ眠っているだけの間に、こんな奇跡を起こしてくださっていたのです。

だったら、このあとガンが待っていようと、何が待っていようと、

もう怖れるものはなにも無いって気持ちになったって不思議じゃない。

私はひとりで生きているのじゃないことが、

こんなに確信されたのは初めての経験です。

こんなしっかりした土台に守られているのですもの。

どんな不安も湧いて来ようがないです。

目には見えないけれど、感じられもしないかもしれないけれど、

でもたしかにそこにあるもの、いつでも支えてくれるもの、

それが祈りだと私は思います。

なんて、うーん言い切れる根拠はなにもありません。

ただ、私には分かるとしか言えません。

さて、病院での楽しみ、

これがまたたくさんあるんだけれど、

今日はここまで。

またいつかね。

今日も長々と読んで下さってありがとう!


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二度目の外泊 [暮らし]

みなさんこんにちは。

今日から13日まで二泊三日の外泊が許可され、

本日我が家に帰ってきました!

前回は、これから抗がん剤治療が始まる前に、

英気を養うための帰宅でしたが、

今回は前半の治療が終了し、三日中休みして、

また後半の治療が始まる前のご褒美休暇です。

で、久しぶりにパソコンの前。

あれからの私の闘病生活の一端をご報告します。

長くなりますよ。

7月26日からいよいよ抗がん剤が私の体を流れだしました。

持続点滴で3週間針を刺したままで続きます。

三日目辺りから副作用が出始め、吐き気や嘔吐、不快感に悩まされ出しました。

当初は肺炎を治してから治療に入る筈でしたが、

一向に治る気配が無いので待ち切れず、肺炎治療と並行しての

抗がん剤療法です。

肺炎というのはとにかく咳、咳です。昼夜を分かたず咳の発作と、

ここが大事なのですが、とにかく痰を出し切ること!

薬剤の吸入や飲み薬で痰を出やすい状態にしたら、

後は自力努力あるのみです。

抗がん剤のほうは吐き気が収まると、他はたいした副作用は出ませんでした。

で今月6日から6000から7000ある私の白血球が500にまで落ちました。

抗がん剤が効いていることなのですが、今度は感染に非常に弱くなり危険です。

これが昨日10日にやっと2000にまで回復したので、今日からの外泊許可が出たのです。

抗がん剤は悪性細胞だけでなく正常の細胞もやっつけてしまうので、

一連の治療をした後は、正常の細胞の機能が戻るまで休みます。

で、また再開です。

で、今回がこの休みの期間なのです。

さて、私の病院での一日ですが、

毎朝5時起床(自然に目が覚めます)

6時前後は採血(毎日または一日置き)や他の検査物提出。

8時朝食なので、この5時からの3時間が、もっともゆっくり過ごせる時間です。

お手紙書いたり、メールしたり、本読んだりしています。

朝食後は主治医を筆頭に3人の先生方の回診です。

その後はテレビタイム!

毎日オリンピックハイライトで熱いです。

10時には一回目の歩行練習。だいたい1キロメートル歩きます。

その後は休み、体拭きや寝巻替えなど、検査があれば行きます。

12時昼食。12時45分から「梅ちゃん先生」見た後はお昼寝タイム。

午後2時から3時2回目の歩行練習。行けたら1.2キロメートル。

でお休みしたあと6時夕食。

9時が消灯ですが、たいてい8時にはベッドで高いびきです!

こんなところですが、トイレは病室外なので、

病室から出る時はマスク、帰れば手洗い、うがい励行です。

食前、食後の薬と、10時、15時、20時の薬があります。

(7種類くらい?全て自己管理なので、薬の袋にチエックを入れて、

残りの数を確認してます。めんどい)

尿も最初の4日間はその都度計測して記入(看護師さんへ提出)

体温、一日4回、体重2回計測。

尿は腎臓機能のチエック、体重は細かな変動でも、

これで抗がん剤の量を決めるので大切なしごとです。

病院での私のお仕事は、

「食べる」、「排泄する」、「運動、リハビリする」「寝る」。

これらの最も生きる上での基本が円滑にまわるように、

意識を総動員して行う事なのです。

今まで私はどんだけなおざりにしてきたか身にしみました。

だけど今回をきっかけに自分の手に取り戻しつつある実感!

生きてるってこれだよな、なんてね。

てなわけで、のんびりしたような、忙しいような、

でも充実して、しかも楽しいったら!という毎日を送っています。

きょうはここまで。

明日もかければ、もう少し色々と楽しい内訳を!

では長々と読んで下さってありがとう!


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